夏の思い出2
2024.9.5 16:01夏休みに行ったもうひとつの場所
濱田庄司参考館
濱田が惚れ込んで移築した建物や、収蔵品ももちろん素晴らしかったのだけれど、一番印象に残っているのは軒下にアリジゴク(ウスバカゲロウの幼虫)がいっぱい住んでいたこと。
というのも自分が子どもの頃に大好きだったので、子にも見せたくて、日頃から砂地に臼状の穴があいてるのを見つけたら棒でほじって確認していた。私の小さい頃は神社や民家でもよくいたものだけれど、最近は全く見つからない。
と思っていた矢先、ここにはこんなに密集している!
このことが何だか大切なことに思えて頭の隅っこにずっとひっかかっていた。
そんな折、鞍田崇さんから「兵庫民芸」と「暮らしの中の藍布」を送っていただいた。そして自分では刺し子や襤褸に惹かれる理由を探し調べ物をしていた。
それらと読みかけの中沢新一「レンマ学」とが昨日ふと繋がって、民藝といわれているものは人間のレンマ的知性と技術が地球環境と調和した結節点なのでは? という考えが浮かんできた。
植物を育てるところから布作りを始め、継ぎ接ぎして使い続ける。
職人が毎日、数えきれない器を作る。
そこに作為は(おそらく、そんなに)なく、淡々と毎日然るべきことを続ける。
環境に無理がなく循環する範囲の生活。
それは厳しい面ももちろん多いけれど、もし今の私がタイムスリップしたら美しいものに囲まれた生活に見えるだろう。そしてそんな環境では、虫たちものびのび暮らしているんだろう。
濱田庄司は物だけじゃなくて、そんな環境丸ごとを益子に残した。
もしロゴスではなくレンマ的知性によって社会が作られたら、自然と矛盾しないのではないか。
アリジゴクから始まって、自分の中の大きな軸がひとつ見えた気がした夏の終わり。
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